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ヒストリー

強くなりたい、強い相手と戦いたい

幼少期~高校時代:サッカー少年から柔道部へ

私は愛知県東海市の父母私の三人家族に生まれ育ちました。

小学五年生まではサンタクロースの存在を信じてたように純朴な少年だったと思います。小学から中学まではサッカー少年で(しっくり来るとは思いますが)ポジションはゴールキーパーでした。一方、並行して柔道の町道場にも通っていました。元々柔道の選手だった父の影響からですが、父は柔道ではなく野球などをやらせたかったようです。

高校に入学すると柔道に専念します。三年ではキャプテンを務め、愛知県大会では個人団体共にベスト8までの成績でしたが、恩師・先輩・チームメイトに恵まれ厳しいながらも武道に取り組む楽しさや、チームワークを学びました。この頃の経験はその後プロとして活動するための良いベースになっています。

ちなみにこの頃は硬派が格好良いと思っており、応援団に憧れたり「携帯には女の連絡先は入れねぇ!」などと粋がったりしていました。当然、女性との華やかなスクールライフとは無縁で今では少し後悔しています…。

大学時代:アライブ入門~

高校卒業後は中京大学体育学部に進学します(筆記試験で入りました!)。柔道は辞めていましたが、運動不足解消や格闘技に興味があったこともあり、入学と同時に総合格闘技道場アライブに入会します。

当初はダイエット程度のモチベーションだったため特に選手に憧れはなく、当初は1~2週間に1度練習に参加する程度で遊んでばかりでした。「練習行きます!」と言って大学から帰宅しようとしていた所を重久コーチに見つかったこともあります。

そしてたまに練習に来るとMMAスパーに放り込まれます。当然ボロボロにされるのでお役御免となり、またしばらく練習に来ない、、、この繰り返しがしばらくの間続きました。

しかし、先輩の杉江”アマゾン”大輔さん(現:白木大輔)と帰る方向が一緒だったことから可愛がってもらえるようになりました。また(日沖)発さんも途中からミット持ちをしてくださるようになりました。今では考えられませんが、発さんに「ミットを持ってやる」と言われていた日に練習をすっぽかしたりしていましたが。。。

そんな取り組み方だったにも関わらず(鈴木)社長や重久コーチなどのコーチ陣や先輩方が可愛がってくださった事もあり、少しずつ練習に取り組むようになりました。

アマチュア時代:プロを目指して

当時のアライブでは発さん、杉江(白木)さん、などの先輩方がプロで上を目指しバリバリ練習に励んでおられました。私はそんな先輩たちを横目にヘラヘラやっていましたが、しばらくすると先輩方の練習相手として重宝されるようになりました。おそらく頑丈だったので「こいつなら何やっても良い」的扱いだったのでしょう。

そうすると「せっかく練習をしているので自分もやってみるか」との心境になってきます。先輩方も僕を上手くおだててくださりアマチュアの試合に出るようになりました。当初は勝ったり負けたりでしたが、負けるたびに泣いていたものです。練習に取り組む姿勢は悪いくせに人に負けるのは悔しかったのです。

そのような事を繰り返すうちにアマチュア修斗北陸選手権で負けてしまいます。またも泣いてしまいましたが正直慢心があったのも事実です。しかしそこから気持ちが切り替わりした。「自分には負けるけど人には負けたくない」から「自分にも負けたくない」に変わったのです。私の中で「第一の成長」です。

そして次のアマチュア修斗全日本選手権に出場が決まり、発さんからも「優勝したら鰻をご馳走してやる」と発破をかけられます。優勝すればプロ昇格が決まりますし、鰻が食べたかったのもあり真剣に練習を頑張りました。試合当日は小田原まで社長や重久コーチ、発さんも応援に来てくださり、優勝が決まると泣くほど喜んでくださったのが嬉しかったです。

そしてこの優勝でプロ修斗に昇格することができました。2006年の頃です。

ブラジリアン柔術の試合に出ていた頃

プロキャリア初期:修斗を主戦場に

デビュー先は引き分けでしたが、二戦目のHEATでブラザーヤッシー選手相手に初勝利を挙げます。

しかし、しばらくは引き分けが多い時期が続きます(8戦時点で4勝4分)。修斗新人王トーナメントの決勝では佐藤拓也選手に延長判定の末負け(公式結果は引き分け)。佐藤拓也選手は一度勝った相手だったので悔しかったのを覚えています。また、大学を卒業し一般企業に就職をしていましたが、格闘技に専念するために退職したのはこの頃です。

そこからしばらくは良い戦績が続き、修斗の環太平洋王座に挑む機会を得ましたが、佐藤洋一郎選手に負けてしまいます。

試合ポスター
オラオラ?していた時期

ROAD FCへ:タイトルの壁

その後は修斗・パンクラス・韓国のROAD FCと転戦しながら連勝が続き、ROAD FCでナム・ウィチョル選手とライト級王座決定戦の機会が巡ってきます。

この時は延長に入った時点で相手がバテていたため「勝てる」と思ったのが甘さになりました。最後の最後に相手にテイクダウンを決められ判定負け。認めるのは悔しいですが気持ちで負けていました。

そして案の定泣いていた所を発さんから「応援してくれている人たちの前でそんな姿を見せるな(自分の事だけ考えて泣くな)」と叱られてしまいます。それ以降負けて泣くことは無くなりました。ちなみにこの試合では「久米の勝ちだった」「地元贔屓だ」との声もありましたが、あの日上回っていたのはウィチョル選手ですので判定には納得しています。

半年後、ウィチョル選手との再戦が組まれます。一度目で競り合ったので「やり方次第で勝てるだろう」と安易に考えていましたが、またしても完敗してしまいます。

その後ウィチョル選手がUFCに移籍したことにより、クォン・アソル選手と王座決定戦の機会が続きましたがここでも判定負け。修斗新人王、修斗環太平洋、ROAD FCでの三度と、タイトルの機会にことごとく負けてしまったことで、キャリアの中で唯一辞めたいと落ち込んだ時でした。

ROAD FCについて言えば、他スポーツの日韓戦で時折噂される反日感情や、地元贔屓からくるジャッジは無く、公平でリスペクトを持って接してくれました。また韓国のファンの皆さんも暖かく応援してくださり、ROAD FCと韓国には大変感謝しています。

またいつか韓国で試合ができることを願っています。

 
 

怪我との闘い

困難なのはタイトル戦だけでなく、怪我との闘いもありました。ファイターに怪我はつきものですが、今までに肘や足首、網膜剥離と計4度の大きな手術と休養期間がありました。

特に網膜剥離は格闘家の引退要因になる疾患の一つであり、地元の病院でも選手生命に響くと診断され手術も決まっていましたが、手術直前で同じく網膜剥離に苦しみ復帰した川尻達也選手から横浜の名医を紹介して頂きました。

横浜まで赴いて診察を受けた所「大丈夫、完治する」と言っていただき無事に手術も成功。一年の休養期間を経て無事に復帰することができました。川尻達也選手や深作病院の深作先生、他アドバイス頂いた皆さんには大変感謝しています。

怪我や手術は大変でしたが、成績や身体の調子が悪い時と手術休養が重なり、結果その後のコンディションが良くなった一面もあります。実際に復帰後の成績は良く、私が若いファイターの皆さんにアドバイスしたいのは「怪我をしたら医者の言うことを聞いてしっかり治すこと、復帰を焦らないこと」です。

タイトルマッチ:ファイターとしても人間としても成長

ROAD FCでのクォン・アソル戦後、2015年からは再度日本に戦場を移しパンクラスに参戦することになりました。

一戦後に前述の網膜剥離で一年間離脱しましたが、2016年の復帰二戦目でチャンピオンだった徳留一樹選手への挑戦が決まります。私としては5度目のタイトル挑戦です。

実は徳留選手とはしばらく一緒に練習をしていた時期がありました。その時から強さは実感していましたし、徳留選手が強豪たちを倒しまくっていた事から相当厳しい戦いになると思いました。実際に発さんからも「今のままではかなり難しい、大幅にレベルアップしなければ」と言われた程です。

しかし、試合が決まったのが比較的早く数ヶ月の準備期間がありました。ナム・ウィチョル戦での反省もあり、その間できるだけ自分を高めることに集中しよう、と腹を括ります。

ちょうどその頃、発さんが手術のために入院をしてたのでお見舞いに行きました。そこで動画とメモを渡されます。見ると徳留選手の以前の試合内容を秒単位で分析したものでした。その詳細さには驚きましたし、ここまで自分のためにしてもらったことを思うとさらに覚悟が決まりました。

また、それまで発さんは徳留選手のことを「徳留君」と呼んでいたのですが、この時期から「徳留選手」と呼称が変わり、発さんも戦う覚悟を決めてくれたのだと感じました。それから数カ月間、発さんが怪我を押してつきっきりで指導をしてくださいました。練習後は毎日LINEで反省点と、アドバイス、またメンタルの作り方も教わりました。

私は普段パーソナルトレーナーとしての仕事をしているのですが、この準備期間は全てのトレーニングを重久コーチが報酬を受け取らずに代行してくださり、私のフィジカルトレーニングも最優先でしてくださいました。また安藤晃司選手が仮想徳留選手として練習相手に来てくださったりと、これだけ周囲に助けられている事を実感し「自分自身に負けていられない、妥協のしようがない」とさらに自分を追い込めるようになりました。

毎晩、練習や試合の夢を見るほど考え込みましたし、良い意味でのノイローゼ状態が続きました。とにかく学んだことは「覚悟を決める重要さ」と「今やるべきことに集中する」こと。また、それまでは漠然とアドバイスを聞いて実践してきましたが、自分で必死に考えるようになりました。

そして当日試合が近づき入場時、発さんから「やることやれて本当に万全の調整ができた時は入場時に感謝の気持になる」と言われていた言葉を実感することになります。この時の入場時は本当に落ち着いており、皆さんへの感謝の想いが自然と湧き出てくる良い状態になりました。

試合では積み重ねてきた事を出し切り勝つことができましたが、喜びで取り乱す発さんや泣いている社長、会場をそっと後にされ試合後会えなかった重久コーチに翌日挨拶に行くと「良くやった」と初めて褒めてくださったこと、その他たくさんの皆さんが喜んでくださる姿を見て、勝った喜びを実感することができました。

それまでベルト自体への執着はそれ程ありませんでしたが、形を残すことで皆さんに喜んでもらえたことがさらに自分の力になりました。

 
 

防衛戦で徳留選手とのリターンマッチ

一年後の2017年、防衛戦でまたも徳留選手との対戦が決まります。

また徳留選手と戦うのか…と正直やりたい相手ではなかったのが本音です。しかし徳留選手もこの一年間で強豪選手たちを圧倒的に倒しタイトル挑戦者としての権利を手にしていましたので、納得して再戦を受けました。

二戦目も発さんが付きっきりで指導をしてくださいましたが、今回はファイトスタイルから体格まで徳留選手に似せるよう作り込んでくださいました。本来よりも上の階級への増量ですので無理しつつ日に日に身体が大きくなっていくのが分かりました。

発さんは丁度自身のジムをオープンして忙しい時期でしたし、重久コーチも「自分だけに集中しろ」と私のパーソナルトレーニングの仕事を代行してくださいます。また、クライアントさん達も私都合で仕事に穴を空けてしまっているにも関わらずご理解いただき、周囲の手厚いサポートによってまたも覚悟を決めざるを得ない状況を作っていただきました。

そして試合が近づいてきた頃、徳留選手にAbemaTVが密着した「格闘家のONE DAY」という番組があり、徳留選手が自身を極限まで追い込んでいるのが伝わってきました。 一方私は、覚悟を決め目の前のこと集中できていた為、落ち着いた日々を過ごせていました。その頃、私と徳留選手双方にインタビューをされた高島さんが、ピリピリした徳留選手とヘラヘラした私のあまりの差に「お前、大丈夫か!?」と心配された程です(笑)。

こうして試合を迎えることができましたが、一戦目と同じく発さんの戦術が見事にはまり勝つことができました。 余談ですが、発さんの作戦はいつもはまり過ぎて驚きます。準備段階に相手の研究と分析をしてくださりそれを元にした対策を練習するのですが、対戦相手のトレーナーの立場に立って考えたり、参考動画の僅かな動きからも相手側の考えを察して対策を考えてくださいます。本当に日本でも屈指のコーチング能力だと思いますし、感謝しています。

試合後に印象に残っているのが、徳留選手が自分から「ありがとうございました!」と言ってきてくれた事です。試合前の様子や調印式での緊張感ある様子から、徳留選手も覚悟を決めて挑んできた事が分かっていましたので、お互いに肩の荷が下りたようにスッキリと会話を交わすことができました。また、徳留選手の関係者やご家族からも温かい言葉をかけていただき、徳留選手の素晴らしい人間性を感じると共に、リスペクトできる相手と戦えて良かったと心から思うことができました。

格闘技は興行を盛り上げるためのトラッシュトークや敵愾心も必要かもしれませんが、個人的にはリスペクトして相手と向き合うほうが全力で戦えると思っています。 実際、高いレベルにまで勝ち上がる人たちのほとんどが心技体に優れている印象があります。

 

「守破離」の守から破へ

この様に、徳留選手との二回の戦いは私が大きく成長した機会となりました。

修行の過程を表す「守破離」という言葉がありますが、まさしく一戦目は守の段階、二戦目で破の段階に達した感覚があります。

  • 一戦目は発さんが一緒に作り上げてくれたものを学び実践する守の状態。自分も答えを探す様になり自分の枠が広がりだした。
  • 二戦目は広がった枠に自分で考え、落とし込める様になった破の状態。学びを身体で理解し動けるようになった。

強い相手だと覚悟が決まり頑張れます。例え負けたとしても悔しさはあっても後悔はないはずです。結果的にチャンピオンになることが出来ましたが、試合への過程こそが私をファイターとして、人間として成長させてくれました。

また、それほど追い込むことができたのは徳留選手がそれ程大きな壁だったからであり、私を成長させてくれた相手として感謝しています。ちなにみ徳留選手も私も「サッカー少年 ⇒ 柔道 ⇒ 総合格闘技」とステップが同じという所にも親近感を持っています(笑)。

「強くなりたい、強い相手と戦いたい」という言葉は、強い相手と戦う過程こそが自分の成長になると分かったからであり、今もその想いで一杯です。

皆さまに感謝して

その後も「パンクラス」「ONE Championship」「RIZIN」などの舞台で強敵との戦いが続いていますが、機会を頂いている団体関係者の皆様、ファンや支援者の皆様、チームメンバー、友人や家族に支えられているからこそ挑戦を続けることができていますので、この場を借りて感謝申し上げます。また、ずっと以前から選手たちが集中して戦える環境を整えてくださっているアライブ鈴木社長にも感謝しています(長生きして頑張ってください)。

これからの久米鷹介にもどうぞご期待ください。
長文へのお付き合い、ありがとうございました。

おまけ(父自作のパネルコレクション)
おまけ(父自作のパネルコレクション)